青山祐の書いた暗黒小説を公開しています。

青山祐の暗黒小説
新しいものを上に追加していきます。

・ある少女の日記
・おいしいもの
・蟻
・おばあちゃんの知恵袋



   「ある少女の日記」

 おかあさんのにゅういんしてる、びょういんにいった日のことです。びょういんは大きくて、おとうさんとはぐれてしまいました。
 まいごになったわたしは、かんごふさんにいいました。
「おとうとをみにきたの」
 かんごふさんが、お名まえは、ってききました。
 わたしが名まえをいうと、かんごふさんは白いおへやにつれてってくれました。
 ベッドがたくさんあります。なかに赤ちゃんがはいってます。かんごふさんはベッドの名ふだをみていました。
 ひとつのベッドのまえで、かんごふさんはいいました。
「この子があなたのおとうとよ」
 えっ。わたしはびっくりしました。
 おとうとのかおは、ずかんでみたおサルさんそっくりだったからです。
 かんごふさんが、へやをでていったので、わたしはひとりになりました。
 おそるおそる、おとうとにさわります。あんまりかわいくありません。
 となりの子のほうがかわいいです。わたしはこっちの子をおとうとにできないかなあ、とかんがえました。
 うーん。
 わたしはベッドをとりかえることにしました。
 ベッドの足はまるくなっていて、おしたらうごきそうです。わたしはがんばっておしました。でもうごきません。
 よくみると、ベッドの足にはスイッチのようなものがありました。それをおすと、かんたんにうごきました。
 となりの子と、おとうとのベッドをとりかえました。名ふだもとりかえました。おとうとが、かわいくなった、とわたしはよろこびました。
 かんごふさんがもどってきました。
 わたしはおとうとに、おわかれのあいさつをしました。
「バイバイ」



   「おいしいもの」

 それは彼女と初めてデートしたときのことだった。映画を見た僕らはその余韻を残したまま街をぶらぶらと散策していた。
「あら。あの犬いいわね」彼女が言った。「育ちが良さそう」
「たしかに上品そうな犬だね」
「あっ。あの猫もいい毛並みだわ」
「飼い主に可愛がられているんじゃないかな。それにしても、君がそんなに動物好きだとは知らなかったよ」
「だっておいしいじゃない」
「えっ!」僕は驚いて尋ねた。「僕の聞き違いかな? 今、おいしいって聞こえたんだけど」
「ええ。そうよ」
「ちょっと待ってくれ。じゃあ君は犬や猫を食べるのかい?」
 彼女は不思議そうに小首を傾げた。
「あなたは食べないの?」
「当り前じゃないか」
「どうして? あんなにおいしいのに」
「普通、誰も犬や猫なんて食べないよ」
「そうなの」
 そこからは少し気まずくなった。
「からかってたんだろ?」
 僕は聞いた。
「ええ、そうよ。今頃気づいたの?」
 彼女は悪戯っぽい笑みを見せた。
 なんだ、やっぱりそうだったのか。僕はほっとする。
 日の暮れかけた公園で僕たちはキスをした。彼女は自分から舌をからめてきた。
「っ!」
 驚いた僕が唇を離すと唾液が糸を引いた。
「おいしいわ」
 うっとりとした顔で彼女が言う。
 僕は声も出なかった。口元を押さえる。
 彼女がくちゃくちゃと僕の舌を食べていた。

 このときなんとか一命を取り留めた僕は、今でも彼女と付き合っている。



   「蟻」

 蟻の観察を始めたのは夏休みの自由研究のためでした。父さんと買いに行った蟻の巣観察セットのガラスケースを通して、二十匹の蟻が動いているのが見えました。
 一週間が過ぎた頃、蟻たちは巣を作り始めました。少しずつ掘り進めていく彼らの意思は統一されています。数日で迷路のような巣が完成しました。
 僕はその観察日記を付けていましたが、以降は特に変わったこともなく、少し飽きてきました。
 近所の公園で捕まえた蟻を一匹、混ぜてみることにしました。彼らはすぐに喧嘩を始め、新参蟻はあっという間に殺されてしまいました。
 今度は二十匹、古参蟻と同じ数の蟻を入れることにしました。壮絶な戦争が始まりました。戦いは一時間ほど続き、最後に古参蟻の一匹だけが生き残りました。
 僕は勝者である彼を指先で掬い上げました。公園へと連れて行き、逃がしてやるつもりでした。
「あっ」
 指先にチクッと小さな痛みが走りました。蟻が、僕を噛んだのです。
 僕はいきおい、蟻を指で押し潰しました。
 噛まれたことに怒ったからではありません。
 僕は蟻の意志に怖くなったのです。とるに足らない生き物であるはずの蟻が、憎しみを込めて僕を噛んだ、そう思えて急に恐ろしくなったのです。
 潰した指を離してみると、そこには黒い糸屑のようなものが貼りついているだけでした。
 僕はそれを見て、ほっと安心しました。



   「おばあちゃんの知恵袋」

 縁側に置かれた座布団の上で、老女が庭を静かに見つめながらじっと座っている。その膝に頭を載せて、四つか五つばかりの少年が眠っていた。老女の膝掛けは、毛布代わりに少年の身体に掛けられている。
 老女はくしゃっとした優しい顔で少年の寝顔を見下ろした。頭をそっと撫でると、寝返りを打って少年が眼を覚ます。
「起こしちまったかい?」
 幾分、申し訳なさそうに老女が言った。
 少年は寝起きのせいか、ぼうっとした表情をしている。しばらくすると感覚が戻ってきたらしく小さく身を震わせた。
「おばあちゃん。なんだか寒いよ」
 縁側は春の日差しの下にあり、ぽかぽかとした陽気に包まれている。老女は少年の額に皴の刻まれた細い手を置いた。
「あんれまぁ、おまえさん熱が出とるわ。ちょっと待っとれ」
 老女は自分の座っていた座布団を少年の枕にすると、廊下を歩いていった。少年は眼を閉じて老女が戻ってくるのを待った。
 頭を撫でられる感触で少年は眼を開けた。
「ほれ、こいつを飲みんさい」
 老女は手に湯飲みを持っていた。それを受け取った少年は、湯呑に口を付けようとしたが、匂いを嗅いで顔をしかめた。
「変なにおいがするよ」
「ショウガ湯じゃ。飲めば風邪なんかすぐ吹っ飛んじまうわ」
 少年は鼻をつまみながらゆっくりと飲んだ。味は思っていたほど悪くなかったらしい。
「ありがとう、おばあちゃん」
 そう言って少年は湯飲みを老女に返した。
「さ、はよう部屋へ戻って寝んさい。父さんと母さんが心配するからの」
 老女は少年を抱き上げ、廊下を歩き出した。少年はまた眼を閉じた。心地良さそうな顔でゆさゆさと揺られていた。
 だがその振動が、突然、ぴたりと止まった。
「どうしたの、おばあちゃん?」
 少年は問い掛けた。老女は答えない。眼を開け、老女の顔を見た少年は異変に気付いた。
「おばあ、ちゃん?」
 老女の顔は、時が止まったかのように、瞬き一つしなくなっていた。

「だから言ったんだ。素直に家政婦型にしとけって」
「いいえ駄目よ。あの子にはもっと近しい存在が必要なんだから」
 居間で二人の男女が言い争っていた。
「ならお前が仕事を辞めればいいことじゃないか」
「あたしのほうが収入は多いんですからね。辞めるならあなたのほうよ」
 その言葉は堪えたのか、男は話の矛先を変えるように言った。
「まったく。何が最新型のアンドロイドだ。自立充電式じゃなかったのか」
「それは悪い偶然が重なったせいよ。あの子が膝の上で眠ってしまったせいで、充電が出来なかったの。無理やり起こして充電するわけにもいかず、随分悩んだと思うわ」
「アンドロイドが悩むだって、そんな馬鹿な。大体なんだ。あの子が熱を出したっていうのに、あいつはショウガをお湯に溶かして飲ませただけじゃないか」
「あれは立派な治療法よ。おばあちゃん型アンドロイドには、昔ながらの民間療法や伝承がデータベースとして入っているんだから」
「何だそりゃ。そんな無意味な情報を、今の現代っ子に学ばせようってか」
「ええ、そうよ」
「馬鹿馬鹿しい。とにかく、今度何かあったら必ず返品するからな」
 女はため息をついた。
「あなたはおばあちゃんの温かさを知らないからそんなことが言えるのよ」

「ねえ、おばあちゃん」
 氷枕を取り替えている老女に向かって少年は言った。
「なんだい?」
「ずっと長生きしてね」
 少年の言葉に、老女の顔が綻んだ。
「ああ。おまえが大人になるまで死ぬもんかい」

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