青山祐の書いた暗黒小説を公開しています。

青山祐の暗黒小説
     「地下の帝王」

 すり鉢状の観客席には、身なりのいい紳士、着飾った貴婦人達がひしめきあっていた。彼らの顔には一様に興奮の色が差している。地下にあるせいか辺りは暗く、明かりは僅かな照明しかない。観客席の最前列に、自動小銃を構えたスーツ姿の男達が等間隔で並んでいる。彼らは厳しい眼で、十メートル下の闘技場を見下ろしていた。
 闘技場は、約五十メートルほどの円形になっていた。床はコンクリートだが本来の色は失われ、暗い照明と相まって黒く染まって見えた。
 スポットライトが闘技場の中央を照らし出した。そこには燕尾服を着た男が立っている。
「さあさあ、お集まりの紳士淑女の皆様方。大変長らくお待たせいたしました。これより本日のメインイベントを始めさせていただきます」
 男が深々と一礼した。どうやら彼が司会者らしい。
 スポットライトが今度は別の場所を照らし出した。闘技場を囲う壁の一角。四角く切り取ったように暗い穴が口を開けている。しばらくすると、そこから屈強な体をした男が姿を現した。
 男の身長は百九十ほどもあった。手入れをしていない髪はぼさぼさで無造作に後ろで束ねられている。無精髭で覆われた顔には表情が無く、年齢が掴めない。だが恐らく二十代から四十代の間だろう。ぼろぼろのズボンを履いている他は何も纏っていなかった。靴もはいておらず裸足のままだ。体に刻まれた無数の傷跡が、男が戦いの中に生きる者であることを物語っていた。
「まず一人目の選手は、無敵の肉体を誇る超人ゲイル。これまでの成績はなんと九十九戦九十九勝。無敗の男です。まあ、負けたら殺されるので当たり前ですが」
 司会者の冗談に観客から小さく笑いが漏れた。
「皆さんもご存知のように本日の試合で彼が勝てば、百勝となり彼は晴れて自由の身です。さあ、彼は生きてここを出られるのか」
 司会者の口上をゲイルは聞いていなかった。闘技場の反対側、闇の奥をじっと見つめている。彼の眼は、闇の奥にいる何かを捉えているのだろうか。
 ゲイルが見つめる闇をスポットライトの明かりが照らし出した。観客席から大きなどよめきが起きた。
「なんと、対戦者は本日が初試合です。闇の下法が造り出した生ける殺戮兵器。夜を這う者、ブリュッケン」
 異常に手足の長い怪物が、闇の奥から姿を現した。いきなり強烈な光を浴びせられ、怯んだように立ち竦む。そいつはあまりにおぞましい外見をしていた。
 背丈は二メートルを超えている。全身を覆う黒い肌は筋肉組織が剥き出されており、四肢の間接は瘤のように膨んでいた。両腕の鋭く長い爪は絡み合い、金属のような甲高い音を鳴らしている。顔には鼻も唇もない。見開かれた眼は、白く濁っており正気を失っているとしか思えなかった。
 ゲイルは異形の対戦相手の姿を眼にしても、顔色一つ変えなかった。
「彼は本日のイベントために世界黒魔術協会が用意した秘密兵器です。まだ試作段階とのことですので知能はほとんどないそうですが、その戦闘力、凶暴性に関してはまったく問題ありません」
 司会者の立つ床がゆっくりと下がっていく。その姿が完全に消える前に彼は言った。
「では、我らが帝王より開始の合図をお願い致します」
 スポットライトが、今度は観客席の上席を照らし出した。白のスーツを着こなした男が立ち上がる。歳は四十台の後半だろうか。彼が立ち上がると、観客は皆、静まり返った。暗黒街の支配者。男が発する闇のオーラはまさに彼が帝王であることを示している。
「皆さん、お集まり頂き感謝する。今日はゲイルの最後の試合になるだろう。彼がこの地下闘技場が始まって以来、最初の生還者となることを祈っている」
 それまで無表情に敵だけを見つめていたゲイルが顔を上げた。帝王へと視線を向ける。その眼に、一瞬、感情のようなものが浮かんだように見えた。だがゲイルはすぐに視線を戻したため、本当にそんなものがあったのかは分からない。
 短い挨拶を終えた帝王に向かって、観客が満場の拍手を送った。帝王は片手を上げてそれを静まらせる。
「始めろ」
 その言葉が合図だったかのように、ブリュッケンがゆっくりと歩き出した。ゲイルは動かない。何の構えも取らずに、ただじっとブリュッケンが近づいてくるのを待っていた。
 互いの距離が十メートルほどになった時、突然、ブリュッケンが床に倒れた。いや、四肢を地に着けたのだ。それが本来のブリュッケンの姿なのだろう。それまでとは打って変わった素早い動きでゲイルに迫る。ゲイルはまだ動かない。すれ違いざまにブリュッケンはその鋭い爪で切り払った。
 ゲイルは紙一重でその攻撃をかわした。それだけでなく、ブリュッケンの腕をゲイルは掴む。むん、という気合の声とともにハンマー投げの要領でブリュッケンの体を振り回した。
 ブリュッケンの胸が僅かに膨らんだ。ゲイルは危険を察し、掴んでいた腕を放した。それと同時に、ブリュッケンの口から液体が吐き出される。ゲイルはすぐさまその場を飛び離れた。ブリュッケンが放った液体が床にばら撒かれた。強力な酸だったようで床が溶ける。
 遠心力から解き放たれたブリュッケンの体は宙を舞い、闘技場の壁へと激突した。近くの観客から悲鳴が上がる。激しく衝突したため、口から胃液混じりの吐息が漏れる。壁を滑りブリュッケンは地面に落ちた。
 ゲイルはすでに走り出していた。ブリュッケンがよろめきながら起き上がろうとしている。体勢が整う前にゲイルは仕留めるつもりなのだろう。ブリュッケンがゲイルに向かって左腕を上げる。それは苦し紛れではなかった。次の瞬間には、ブリュッケンの腕から全ての爪が発射されていた。膨らんだ関節が発射装置の役割を果たしているらしい。放たれた爪は至近距離から弾丸の速度でゲイルへと迫った。
 ゲイルの動きはまさに超人的だった。だが、さすがに全ての爪を避けることは出来なかった。避け切れなかった爪の一本が左肩を貫いていた。だがゲイルは走る速度を変えない。苦痛に顔を歪めることもなくブリュッケンへと向かう。
 ブリュッケンは不十分な体勢から爪の残った右腕で切り払った。ゲイルはそれを最小限の動きでかわす。ブリュッケンの懐へと潜り込んだ。胸に手刀を突き入れる。分厚い皮膚を突き破ったそこは、人間なら心臓があるはずの位置だ。
 ゲイルはすぐに手刀を引き抜いた。手ごたえがなかったせいもあるが、それ以外にも理由があった。引き抜かれたゲイルの腕は表面が焼け爛れていた。体液そのものに溶解作用があるらしい。ゲイルを捕らえようとブリュッケンが腕を伸ばす。ゲイルは後ろに飛び退って逃れた。
「グゴオオオオオ!」
 ブリュッケンが吠えた。胸に空いた傷が痛むためではない。傷口は煙を吹きながら再生を始めている。左腕の爪も同様に新しく生えてきていた。ブリュッケンが吠えたのは純粋な怒りからだった。
 ゲイルはブリュッケンと距離を置いた。左肩に刺さったままだった爪を引き抜く。
「すぐに抜くべきだったな、ゲイル。ブリュッケンの爪には毒があるぞ」
 そう声を発したのは上座にいる帝王だった。深く威厳のある声は騒がしい闘技場の中でもはっきりと響いた。
 ゲイルは無表情に爪を捨てた。毒に侵されているはずだがそんな様子もない。
「ふむ。常人なら死んでいるはずだが、お前には大した効果はないか」
 帝王はそう言って笑った。
 ゲイルはブリュッケンへと走り出した。今度は直線的ではなく、円を描くように走る。ブリュッケンの爪を警戒しているのだろうか。ブリュッケンは四肢を地に着けたまま動かない。ゲイルの動きを捉えきれていないのかもしれなかった。ゲイルの走る円が徐々に小さくなっていく。すると、突然、ゲイルが円を線に変えた。ブリュッケンへと迫る。
 観客からどよめきが上がった。ゲイルが攻撃を仕掛けた瞬間、ブリュッケンの体が三メートルも飛び上がったからだ。あの巨体を浮かせるとは信じられない筋力だった。
 ゲイルは追わなかった。身動きの取れない空中では爪を逃れようがないからだ。真下にいるゲイルに向かって、ブリュッケンが口から酸を吹き出した。その瞬間、ゲイルは何かを放った。それがブリュッケンの両目に突き刺さる。
 ゲイルが放ったのはブリュッケン自身の爪だった。先ほど走っている最中に、地面に刺さったままだった爪を抜き取っていたのだ。ブリュッケンの吐いた酸を、ゲイルは横に飛んで避けた。視力を失ったブリュッケンが当てずっぽうに爪を発射する。もちろんそんなものが当たるはずもない。
 ブリュッケンが地面に着地した。すでに眼から爪は引き抜かれていたが、まだ眼球の再生はしていなかった。威嚇するように吠えながら、腕を四方に振り回す。だが、何も捉えられずに空を切り続けた。
 観客がざわめいていた。鋭く空を切る音をブリュッケンは聞いた。頭上を見上げようとしたブリュッケンの首が地面に落ちた。ゲイルが放った手刀によって切り落とされたのだ。
 ブリュッケンが着地した時には、すでにゲイルは空中へ飛び上がっていた。その跳躍力は、ブリュッケンを上回り五メートルにも達した。落下により加速度のついたゲイルの手刀は、まるで断頭台のようにブリュッケンの首を切り落とした。
 ブリュッケンの胴体はまだ頭を失ったことに気付いていないのか、よろよろと歩き出した。その歩みの途中に自身の頭があった。気付かずに踏み潰した。胴体はなお歩き続けたが、やがて力尽きたように地面に倒れた。
 観客は皆立ち上がり、ゲイルの名を連呼した。惜しみない拍手を送る。
 ゲイルは無表情にブリュッケンの死体を見つめていた。その眼は何を思うのか。
 歓声が突然、はたりと止んだ。理由は一つしかない。ゲイルが顔を上げた。その先に一人の男。笑みを浮かべながらゲイルを見つめている。
「実にいい試合だった」
 静まり返った観客の中で、ただ一人、帝王はゲイルへと拍手を送った。
「さて、これで百勝となったわけだが、ゲイル。お前は外に出てどうするつもりだ。戦いの中でしか生きられないことは、お前が一番良く分かっているはずだ」
 ゲイルは何も答えなかった。無表情にただ見つめ返すだけだ。
「まあいい。何にせよ、私はお前を自由にするつもりはない」
 帝王の宣言に、観客からざわめきが漏れる。
「約束を違えるのか」
 ゲイルが口にした言葉はそれだけだった。意外に若い声だった。
「約束だと」
 帝王の顔が険しくなった。
「そんなものが成り立つのは、互いに対等な関係にある場合だけだ。お前は私の所有物に過ぎん。遺伝子操作により造り出した化け物でしかない」
 ゲイルは帝王の言葉にも表情を変えなかった。ゆっくりと帝王へと向かって歩き出す。
「止まれゲイル。それ以上進めば死ぬことになるぞ」
 帝王の言葉に、壁の上で銃を構えるスーツ姿の男達が、一斉に銃口をゲイルへと向けた。ゲイルは止まらなかった。歩みを早めることもない。
 男達は銃口を向けながらも、淡々と歩き続けるゲイルの姿に恐怖していた。発砲するにしても、自分ではなく誰かに先陣を切ってもらいたい。そう皆が思っていた。
「撃て」
 帝王が静かに告げた。
 ゲイルはすでに闘技場の壁から、十メートルの位置に来ていた。命令が出ても、すぐに引き金を引く者はいなかった。業を煮やした帝王が叫ぶ。
「撃たんか!」
 帝王自身、ゲイルの姿に恐怖していたのかもしれない。
 命令ではなく、おそらくゲイルへの恐怖に突き動かされ、男の一人が引き金を引いた。乾いた音が辺りに響く。その弾丸はゲイルから大きく離れた地面に命中した。だが、その銃声が切っ掛けになった。男達が我に返ったように銃を構えなおしゲイルへと発砲する。
 男達にはゲイルの姿が霞んだように見えただろう。彼らが一斉射撃を行った時、すでにゲイルは地面を蹴っていた。そして、次の瞬間には壁の上に立っていた。十メートルもの壁を単純な跳躍で越えられる者がいるとは想定していなかったのだろう。ゲイルが着地した時、その前にいた運の悪い男は、銃を向けたが引き金を引くことは出来なかった。ゲイルが無造作に振った腕で、その首を刎ね飛ばしたからだ。
 他の場所にいる男達は銃口を向けたが、観客に当たることを恐れた。観客席を回り込んでゲイルに向かって走り出す。だが、その時にはすでに観客は混乱状態へと陥っていた。逃げ惑う人々が壁となって男達の行く手を阻む。
 ゲイルの前にいる観客は自ら道を開けた。時折、逃げ遅れた観客が邪魔をしたが、ゲイルが腕を振るとすぐにいなくなった。上半身と下半身が別々の方向に飛んでいたが。
 帝王はまだ自分の席に座っていた。さすがに帝王の貫禄を見せている。彼を護衛する男達は精鋭が集められていたが、すでに浮き足立っていた。ゲイルが近づいてくるにつれて、彼らの顔が恐怖に引き攣っていくのが分かる。彼らは拳銃を手にしていたがゲイルの前ではそんなものが役に立たないことをすでに悟っていた。
 ゲイルが帝王の目前にまで迫った。護衛達は間近で見たゲイルの迫力に圧倒されたのか銃を捨てて逃げ出した。ゲイルは追わなかった。彼はずっと、帝王だけを見ていた。
「ゲイル」
 帝王がゲイルの名を呼んだ。その口調には先ほどとは違う響きがあった。ゲイルの動きが止まる。
「父親を殺すのか」
 そう帝王は言った。
「お前の望みは外に出ることではなく、私に認められたかったのではないのか」
 無表情だったゲイルの顔に、一瞬、何かが浮かんだ。それはあまりに複雑な感情だった。
「残念だがお前の望みは叶うことはない。私はお前を認めないからだ」
 帝王は真っ直ぐにゲイルを睨み付けた。
「殺すがいい。わたしを殺せばお前は父親殺しだ。体だけでなく心までも人ではなくなった化け物……」
 ゲイルは帝王の首を刎ねた。血が噴水のように噴出し、ゲイルの顔を血で染めた。ゲイルは帝王の胸を掴むと傍らへと投げ捨てた。
「俺は化け物だ」
 ゲイルは呟いた。帝王の座っていた椅子に腰を下ろす。
 その時。ゲイルへと向かっていたスーツ姿の男達が、観客を割ってようやく姿を現した。彼らはその場の光景を見て全てを悟ったようだ。ゲイルへと歩み寄ると頭を深く下げた。それは服従の証だった。
 ゲイルは無表情に彼らを眺めた。
「だが帝王でもある……」
 そう呟く姿は、どこか寂しげだった。

     (了)

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